鹿児島で働く新61期のノキ弁が,仕事や法律について考えたことを吐出します。                         有用なアウトプットを生産すべく試行錯誤の日々の記録です。

2010年2月25日木曜日

犯罪被害者支援

犯罪被害者支援は,近年弁護士の活動領域として,
広がりをみせている分野です。
刑事手続きにおける被害者参加が法定されてきており,
国選被害者参加弁護士という制度もできました。


私自身,被害者支援をしていて,
被害者を弁護士がサポートすること自体の意義は,
十分に感じているところです。
被害者の視点から見れば,被疑者・被告人には,
刑事弁護人として弁護士がついているのに,
自分はひとりであるとの不安ないし不満があります。
支援弁護士がつくことで,この点は解消されるわけです。


しかしながら,刑事訴訟において,
従来の刑事弁護人に対立する立場に同じ弁護士をもって置くということに,
違和感を覚えなくもありません。
以前から,悪いことをした「犯罪者」を弁護する弁護士はけしからん,
という一般市民感覚は根強くあります。
これに加えて,被害者参加弁護士として検察官の側に立つ弁護士が,
刑事弁護もするというのは,一般市民の眼にはどのように映るのでしょうか。
また,刑事弁護人として被告人のために最善の努力をする弁護士が,
被害者参加弁護士として被害者ないしはその遺族を代弁して,
被告人に重い処罰を求める活動をすることは,
外部から見て矛盾してると感じられないのでしょうか。


確かに,民事においては,あるときは原告になりまた次の機会には被告になる,
そんなことは当たり前です。
どんな立場であれ依頼者の権利を実現するために最善を尽くし,
紛争を解決するのが,民事における代理人たる弁護士の仕事です。
しかし,刑事弁護においては,その半ば公的役割から,
そう簡単に割り切れないものもあるのではないかと思います。
特に,刑事弁護に情熱と熱意をもって,信念を固めてきた弁護士ほど,
悩みは大きいと思います。


私は今のところ,参加弁護士として公判に関与したことはありませんが,
刑事弁護人としても,相手方に弁護士がついて手続きに関与してくるケースでは,
やりにくさを覚えないといえば嘘になります。
弁護士会の中でも色々な見解があります。
弁護士自治ないしは刑事弁護を崩壊させるための陰謀論だとまでは言いませんが,
ある意味では,刑事弁護を最後の拠りどころとしてかろうじて存在していた,
弁護士同士の一体感が損なわれつつあることを,個人的には危惧します。


検察は以前から,「被害者とともに泣く」ことを標榜していたのですから,
少なくとも,刑事訴訟手続きにおける被害者のサポートは,
検察官もしくは検察庁が行うのが筋であるような気がします。


犯罪被害者支援の幅は広く,弁護士ができることは限られています。
警察,検察,犯罪被害者センターなどが連携して,
よりよい制度を構築する必要があるのではないでしょうか。


民事

2010年2月24日水曜日

屋久島雑感2

鹿児島に帰ってさっそく,KULSのニューズレターへの寄稿を依頼される。
人使いが荒いと思いつつ,隙間時間でやっつけました。
せっかくだからここにも転載します。

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リーガルクリニックA@屋久島に参加して

平成22年2月19日から22日かけて,屋久島の3会場で無料法律相談を行いました。
学生にとっては,日頃の学習の成果を地域社会に還元する貴重な機会であるとともに,
将来携わる法曹実務に触れることで,今後の学習目標を再確認する場でもあったと思います。
私見ですが,法科大学院における全ての学習は,新司法試験に繋がるものでなくてはなりません。
これには,教員側の創意工夫はもちろん,特に直接の試験科目ではない科目においては,
学生が主体的に目標を設定し,授業から新司法試験に活かせる知識・経験・思考を学び取る姿勢が不可欠です。
今回のリーガルクリニックを,新司法試験にどう活かすか。
私が感じたことを,以下簡単に述べたいと思います。
① 事実の整理
  試験問題とは異なり,生の相談で相談者から語られる事実は,所与のものではありません。
 実務家は,常に立証を意識して事実の確定に努めます。
 学習段階では軽視されがちな事実の重みを感じることが出来たのではないでしょうか。
  ただし,試験問題を解くにあたっては,問題文の趣旨をよく理解したうえで,
 出題者が想定していない事実に足を取られることがないよう,注意を喚起しておきます。
  また,相談者から流れ出る事実の洪水を整理し,記録するスキルについても,目の当たりにしたことと思います。
 相続関係図に代表される,複雑な事実を法律関係が分るように図表化する技術は,
 実務のみならず試験においても必須ですので,これを機会に習得してください。
② 要件事実の意味
  事実の聞き取り及び整理に際して,法律家の参照枠組(Frame of Reference)は要件事実です。
 普段,ある種のパズルとして捉えがちな要件事実ですが,
 相談の場において生の事実を整理する有効なツールであることを感得できたのではないでしょうか。
 学生のみなさんの聞きとりが,相談者に振り回されてわき道にそれてしまいがちなのは,
 この参照枠組みをしっかり意識できていないことが主因であると感じました。
 事前準備で何を聞くべきかを検討する際には,要件事実をしっかりと押さえることがまずもって重要になります。
 今回,時間的制約の問題もあるのでしょうが,この点の準備がやや不十分であった印象を受けました。
 生きた要件事実学習の場として,積極的に活用して欲しいと願います。
③ 解決手段としての各制度の有機的理解
  実体法の学習は,つまるところ法定の要件効果を基盤とした権利の存否の問題に帰着します。
 他方,手続法の学習では,やや細かい手続き的論点に目が行きがちです。
  しかし,現実の紛争解決は,多様な法制度を駆使して実現されるものです。訴訟のみならず,調停,審判又はADRなど,
 紛争解決システムの全体像を頭に置き,適切な手段を選択することが求められます。
 そのためには,各手続きの特徴とメリットデメリットをしっかりと理解し,相談者に分りやすく説明することが肝要です。
  手続き選択は新司法試験では,主に,行政法で問われるところですが,
 民事でもどのような手続きで解決するのかのイメージを持つことは,見えないところで答案に具体性を与えると思います。
④ タイムマネジメント
  今回のクリニックは,学生にとっては,かなりタイトスケジュールの中で行われました。本当に大変だったと思います。
 しかしながら,新司法試験においても,最後の最後はタイムマネジメントにかかってきます。
 与えられた時間の中で,必要十分なアウトプットを生産することは,試験でも実務でも,必須のスキルです。
 所与の時間に対して不満を述べるのではなく,その時間をどう活用すれば要求水準を満たせるのかというトレーニングとして,
 前向きに捉えたうえで,取り組んでみてください。
  また,法律相談におけるタイムマネジメントについては,相談内容の質と量を常に意識して,緩急をつけた柔軟な姿勢が求められます。
 相談者の話を遮る形になる場面もありますが,トータルで時間内に満足を得るという観点から行われていることに注目して欲しいところです。
 切るべきところは思い切って切る実務家のテクニックは,メリハリのある答案を書くに当たっても参考になると思います。
⑤ 相談者の希望にフォーカスすること
  実務家が相談に当たってまず把握しなければならないのは,論点でも判例でもなく,「相談者が何を望んでいるか」です。
 それが分らなければ,どの事実を聞けばよいかも分りません。これは,新司法試験に置き換えれば,「出題趣旨」を把握することです。
 事実の中に論点が見えたとしても,出題者が何を望んでいるかを把握しないことには,評価される答案は書けません。
 出題者の考えを念頭において,何を書いて欲しいと思っているのかを常に意識できれば,いわゆる論点羅列型の答案は生まれません。
⑥ プレゼンテーション
  今回,学生の力不足をいちばん感じたのがプレゼンテーションです。口頭発表の機会は普段あまりないでしょうし,
 新司法試験にも後述はありません。それでも,事前知識ゼロの聞き手に,簡潔に事案を理解させる能力は答案でも求められます。
 一読して試験問題が想像できる答案が優れた答案だと思います。もちろん,読み手の試験委員は問題作成者でもあるわけですが,
 問題文中で当然の事実を当然の事実として指摘するのと,分ってるだろうとの思い込みでまったく触れないのとでは,
 印象はだいぶ異なります。読み手を意識しない答案は,やはり良い評価には繋がりません。
  また,言葉遣いについても,色々な批判が出ました。法律家は言葉によって紛争解決するのが仕事ですから,
 その武器である言葉はクリスタル・クリアでなければなりません。あいまいな表現を避け,厳密な言葉遣いを意識してください。
 事実が曖昧であれば適切な場合分けが必要ですが,主張が曖昧な場合,知識不足か論理の破綻と考えられます。

 以上,思いつくままに述べましたが,実務科目であるクリニックにおいても,新司法試験に役立つものは,たくさんあります。
せっかく,時間と労力をかけて授業に取り組むのですから,そこから吸収できるものは貪欲に吸収し,試験に活かしてください。
法科大学院と新司法試験との関係は微妙なところもありますが,学生の意識しだいでは,かなりリンクすることが可能だと思います。
もったいない精神を忘れずに,今後の授業にも積極的に取り組まれることを祈っています。

2010年2月22日月曜日

屋久島雑感

鹿児島大学ロースクール(KULS)の
リーガルクリニックに同行して,
3泊4日で屋久島に行ってきました。
一応非常勤講師としてのお仕事です。
学生と一緒に島内の数箇所を回って無料法律相談。
広報を頑張ったらしく,それなりに予約が埋まっていました。
学生にとってはかなりハードな授業だと思う。
これが必修というのは,しんどいかもしれない。
でも,選択だと人が集まらないだろうしなぁ。
(写真は隙間時間で唯一観光できた千尋の滝)


以下,雑感。

① 法律相談
修習指導のベテラン弁護士から「法律相談が一番難しい」
と教わって,仕事を始めてからも,一番しんどいと思ってたけど,
改めてそのことを認識しました。日ごろ人に見られないので,
今回の同席で最初のころの緊張感を思い出した。
今回,二人の弁護士の相談を見ることができたのも良かった。
やはりそれぞれにスタイルがあり,正解はない。でも,相談者のの評価は平等。
相談者に対する満足度調査は自分でもやってみたい。

② 司法過疎
年に1回の無料法律相談だからこそ,
相談する決心がつくというのは新たな発見。
受任まで考えたら,常駐のほうが良いとは思うが,
巡回ゆえのメリットというものもあるのだ。
例えば十島村に比べて,屋久島には簡裁があるからまだまし,
という司法過疎の根深さ。
ビジネスとして成立することが必要条件だが,
奄美をみれば,それだけで十分条件を満たさないことも明らか。 

③ 司法制度改革
現役受験生に合格者数の適正水準を問うのは酷に過ぎる。
答えが得られたとしても,自分が合格できる水準とうものでしかないだろう。
受験生の気持ちは受験生にしか分からないのだなぁ。
他方で,当事者である法曹志望者が,
いまだにこの国の司法制度全体に対するビジョンを持ち得ないこと自体,
構造的な問題は何も解決していないことの証左ではある。
折悪しく不況と重なって,不合格者が確実に生まれる制度そのものの是非が,
改めて問われているが,当事者からの声は聞こえてこない。
個人的には三振した人が法務省か最高裁の前で焼身自殺したりする可能性を,
かなりリアルに想像していたのだが。
みんな自分のことでいっぱいいっぱいだろうし,落伍者という負い目が口を重くするのだろう。
合格者ですら就職先がない状況で,不合格者の問題には手が届きにくい現実。
声を上げられない状況に加担しながら,声を上げないことを指摘するのは,残酷だ。

2010年2月15日月曜日

NLP入門講座

日曜日に受講してきました。
http://thegateofnlp.blog52.fc2.com/category0-2.html
1日だけの入門講座で,
今後開講されるマスターコースの宣伝という位置づけでしたが,
ワークが多くて,NLPの世界を体験できるものでした。
トレーナーは真言宗の僧侶でもあり,とっても理論家。
理屈っぽくないセミナーを意識したとのことですが,
理論的裏付けが伝わってきます。
理屈屋の自分としては,
もっとエモーショナルな人のほうが合うかもしれない(笑


目標発見のワークで浮かんできたイメージは,
「遠く離れて繋がっている」というもの。
自由と安心感。
具体的に何をしているのかは分からないけど,
今の仕事ではないことははっきりした(爆


これまでのNLPに対するイメージは,
自己啓発をシステマティックに理論化して,
技術に落とし込んだものという感じでしたが,
外れてなかったです。
むしろ,技術的側面が予想以上に強い感じ。
ポジティブダブルバインドとか,
シンプルだけど結構ヤバイテクニックだと思った。


歴史的背景にはニューエイジ思想や
ヒューマンポテンシャルムーブメントがありそうな匂いがする。
元トランスパーソナル思想専攻としては,
今これが流行りつつあることに,ちょっと違和感を覚えたり。


テクニカルかつプラクティカルな装いだけど,
中身は結構ディープだと思われるので,
即物的な興味で手を出すのは危険かもしれない。
スピリチュアルなレベルでも,
何らかの影響を及ぼす可能性があり,
そのあたりへの対処もセットにしないと危なっかしい。
物質的世界しか見ないor信じない人が
手を出すのはお勧めしないかなぁ。
まぁ,あくまでも一日体験の印象に過ぎませんが。


以下,備忘メモ。


臨場感のあるイメージに自己を同一化させることで,
ホメオスタシスを願望実現に活用する。
臨場感=五感+感情


21日間続けることで人生が変わる。


イメージを具体化するためには,
材料として参考体験が必要。


自己投資を回収する側に立つための閾値は2000万円。


目標達成を当たり前だと思うこと。
→実現しますけど何か?

2010年2月11日木曜日

結果と過程と納得

先日,控訴審の判決言渡のため,
高裁(宮崎支部)に行ってきました。
初の控訴審(民事の経験もない)で,
自分は控訴審からの参加でしたが,
大変良い勉強になった事件でした。
でも,結果は控訴棄却。
原審が実刑判決だったので,
実質実刑判決をもらった感覚です。
これは2回目ですね。やっぱり応えます。
新米弁護人としては,自分の力量不足で依頼者を刑務所に
送ってしまったのではないかという不安が拭えません。


もちろん,控訴趣意書を作成するときは,
どうやったら控訴人に有利な事情を拾って,
裁判官に納得してもらうか,
事実認定についても法律論についても,
散々頭を悩ませました。
おそらく純粋に起案という意味では,
最初の1年の中でもっとも考え抜いたものだったと思います。


言渡しでは,判決理由を事細かに説明されました。
こちらが無理筋なのを承知で主張している部分でも,
丁寧に拾ってひとつひとつ反論を加え,潰されました。
しかも,結局事実取調べされなかった証拠についても,
判決には斟酌できないとしながらも長々と言及。
経験豊富な主任弁護人に聞いても,
ここまでの詳細な理由説明はそれほどあることではないそうです。
その分本気で潰しに来てるなと感じました。
あるいは,上告しないようにという,
暗黙のメッセージなのかもしれません。


後日,控訴人である依頼者と打ち合わせ。
残念な結果について詫びました。
依頼者は,「国選ではなく私選で依頼をして頑張ってくれたから,
この程度の量刑で済んだのだと思う。
どうせ(刑務所に)に行かねばならないのなら,
上告せず早く済ませてきたい。」
とおっしゃってくださいましたが,
まだまだ青い刑事弁護人である自分は,
素直には喜べませんでした。


民事であれば,課程を評価して結論に納得するというのは良くあるし,
むしろ民事での訴訟提起後の和解(訴訟上でも訴訟外でも)は,
そこを目指して落としどころを探る作業だと思います。
でも,刑事は結論が刑罰権の行使なだけに,
過程への評価より結論により重みがあるように感じます。


ロースクールの刑法の先生(現学長・理事長)の
そのまた先生のお言葉だったと思いますが,
弁護人は負けるべき事件は負けなければなりません。
でも,私自身,諸々の事情から,
実刑は回避すべき事案と考えていただけに,
敗北感と申し訳なさが強く残る事件となりました。


次の目標は宮崎での1勝です。

2010年2月2日火曜日

前向きな仕事の魅力

昨日は,うちの事務員さんの紹介で,
設計会社の社長さんと会食でした。
F.L.ライトの作品からとった会社名からして,
かなりセンスの良い,志の高い社長でした。


トップの役割,組織のありかた,女性社員の扱い方など,
これから独立する自分にとって,
ためになるお話をたくさんうかがいました。
社会や国家に対する視点も,自分と共通のものがあり,
とても楽しく有意義なひとときでした。


それにしても感じたのは,
設計というクリエイティブな仕事の持つ,前向きさ。
先日,キャリア教育の一環として,中学2年生に,
弁護士の仕事について講演?をする機会がありました。
そこで僕は弁護士業=ドブさらいだと説明しました。
これは卑下でもなんでもなく,本質だと思ってるし,
逆にそれを誇りに仕事をしてます。


それでも,顧客の望む新しいものを生み出す,
前向きな仕事のお話を聞いていると,
自分の仕事は本当に後ろ向きだなぁと(汗
我々のところにハッピーな人は来ないし,
問題がうまく解決しても心の底からハッピーってことは,
実際はあまりないのです。


自分の仕事においてもクリエイティビティを発揮したいと,
常々思っているのですが,現実は厳しい。
だからこそ,前向きな仕事をしている方とお話する機会は,
自分にとってとても貴重なものだと改めて感じました。


これからも,いろんな出会いが広がることを楽しみにしています。

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