三寒四温ってやつですか?
さて,僕はもともと人文系で現代思想が専門だったので,
プルラルな思考とか価値観の多様性とかに,
割と慣れ親しんでるつもりでした。
ところが,弁護士としていろいろな依頼者と会って話を聞くと,
完全に見えている世界が違う,そう感じることがあります。
こんなとき,自分の世界がいかに狭かったかに気づかされます。
これまで他説や他者だと思っていたのは,
結局のところ自分にとって理解可能なものでしかなかったということでしょう。
この世界の違いにどう向き合うか。
もちろん今の僕にすぐに答えが出る問題ではありません。
少なくとも,自分の価値観を押しつけたり,
そうでなくとも,相手の世界観を変えようとしたりすることは,
弁護士の役割ではないとは思います。
(少年事件の付添人の場合はやや事情は異なるかもしれませんが。)
かといって,相手の価値観・世界観をまるごと理解して,そのまま受け入れることも,
カウンセラーではない弁護士にとっては荷が重いように思います。
今,僕が何となく感じているのは,
こういう場合,弁護士と依頼者との間を繋ぐのは,
ストーリーなのではないかということです。
異なる価値観と独自の世界観を有する諸文化の神話にも共通の型があるように,
それぞれの世界に生きる依頼者と弁護士であっても,
ひとつのストーリーを共有することなら,可能なのではないか,と。
もの凄く漠然とした仮説ではありますが(汗
今日はひとつ嬉しいことがありました。
以前,対価性について書いたときの相談者がわざわざ事務所にお礼に来られました。
実は相談の数日後にこちらから電話をして進展をうかがってはいたのですが,
まさかご挨拶にみえるとは思ってませんでした。
相談料を頂かなかったことで,かえって気を遣わせてしまったのかもしれませんが,
相談だけで終わらなかったことにじんわりと喜びを感じています。
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