鹿児島で働く新61期のノキ弁が,仕事や法律について考えたことを吐出します。                         有用なアウトプットを生産すべく試行錯誤の日々の記録です。

2009年1月20日火曜日

センセイと呼ばないで?

しばらくぶりです。
あっという間に3週目に突入してしまいました。
前回予告した内容は時期を逸した感があるので,
無期限延期で(爆
この間このブログが停滞していたのは,
仕事でバタバタしてたのもありますが,
そもそもの方向性とかコンセプトを練り直す必要があると感じたからです。
何せ,完全な見切り発車だったもので(汗
今月中には何とか目処をつけるつもりでおりますので,
もう少し時間をください(って誰も待ってないよね)。

さて,仕事の方は今のところ訴訟案件は離婚が1件のみ,
あとは破産1件と債務整理(ヤミ金)の相談が1件ありました。
ノキ弁として多いのか少ないのかは分りませんが,
こうして仕事が回ってくるのは,
弁護士の少ない鹿児島だからこそという気がします。

給料をもらって事務所の事件を処理するイソ弁なら,
最初からもっと多くの事件を振られるのが普通で,
同期ではいきなり立退き15件もらってた人もいます。
イソ弁ならボスか兄弁(事務所の先輩弁護士)のチェックがあるし,
具体的な指示もあるだろうから,何とかなるのでしょう。
でも,全部自分でこなすノキ弁の身では,
そんな件数持ったらあっという間にパンクですね。
正直,現状は売り上げ的には厳しいですが,
ひとつひとつをじっくり勉強できるのでこれはこれで良いかなと思ってます。

そんな訳で,実際にひとりで依頼者の相談を受けているのですが,
やっぱり弁護士は「先生」って呼ばれてしまうのですね。
僕は,受験時代から,依頼者には「「先生」は勘弁してください」
って言おうと考えてました。
弁護士同士が先生と呼び合うことについては,
新人であろうと一人前の同志として扱うという意味で,
悪くない慣習だと思うのですが,
報酬をいただく依頼者に「先生」と呼ばせることには抵抗があったから。

でも,実際の依頼者を前にして,その台詞は口にできませんでした。
弁護士のところに相談に来る依頼者,特に一般の方は,
本当に切羽詰った状況にあることが多いのです。
そんな人たちが,何とか助けてもらおうと,
それこそ藁にもすがる思いで僕の前にやって来きて,
僕のことを「先生」と呼ぶ。
それは,おべっかや媚びへつらいではなく,
心からの期待なのです。
そんな気持ちのこもった「先生」という呼称を拒否することは,
一種の逃げなのではないかと今は思っています。
(ちなみに,保険屋さんや車屋さんに「先生」と呼ばれるのは,
やっぱりひっかかります。)
自分は「先生」なんて呼ばれるほど偉くも(バカでも)ないつもりですが,
依頼者の前では,その期待にこたえられる
立派な「先生」として振舞うのが,誠意なのだと感じてます。

もちろん,この期待は,一般の人にとって,
弁護士へのアクセスがいまだ容易ではない状況が
生み出している面も多分にあります。
なので,マクロで考えれば,この状況を改善することで,
依頼者が「先生」と呼ばずに済む,
もう少し対等な関係の構築を目指すべきとも思います。
ただし,弁護士はかなりの部分信用商売なので,
完全な対等関係は成り立たないだろうと思いますが。

さぁ,明日も頑張ってセンセイやりますか。

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